東京 大森駅西口。繁華街の北一番街に「焼鳥 とり心」はあります。カウンターだけの小さな落ち着いたお店。湯島の「焼き鳥 とりひろ」で10年の修行を経た西川恭平さんが、2023年の8月17日にオープンさせました。

1年半に渡る海外一周バックパッカーの旅も経験している西川さん。人が働くという日常への興味が、旅を通してふと垣間見えたのだと言います。

オープンから1ヶ月ほど経とうという折、お店を訪ねました。そして修行時代に旅の話、これからのお店の運営について、西川さんにいろいろお話を伺ってきました。

(2023年9月11日 取材)

— このお店はどんな特徴を持った焼鳥屋さんですか?

オーソドックスというか、王道というか。昔からある焼鳥。

自分が修行してきたお店が40年も50年も続いているような焼鳥屋さんだったので、その流れの軸はぶらさず、あんまり崩さないようにしたいなっていう気持ちがあるんです。

— 西川さんがいうそのオーソドックスというのは、どういった焼鳥になりますか?

大衆的な焼鳥とはちょっと違う。じゃあ高級店を目指しているのかといえば、そういうわけでもないんですけど。

ただ安く作れる焼鳥とは違って、仕込み、串打ちにも時間はかかるんです。手間暇かけて作られた焼鳥を、ゆっくり楽しめるような店。そういうのが僕にとっての焼鳥の王道ですかね。

例えば、寿司屋でいうとカウンターで食べる寿司屋と回転寿司では違うじゃないですか。それと同じようなものとイメージしてもらえるとわかりやすいのかもしれないです。

つまり丁寧な仕事をするということでしょうか。そこをずっと守っていきたいなって思ってます。

— 西川さんが修行されたお店もそうしたお店だったということですね?

そうですね。湯島の「とりひろ」っていうお店なんですけど、(* 前身は上野の池之端にあった「焼き鳥 たがみ」といって)30〜40年続いている昔からある焼鳥屋さんで。そこで修行してました。

— 西川さんが料理の世界に入ったのには、どんなきっかけがあったのですか?

学生時代は経営学科にいて、「卒業したら将来は何か自分でやりたいな」という思いは漠然とあったんです。

学生の頃はイタリアンのお店でアルバイトしてたんですけど、そこで仕事を見てて、楽しそうだしやってみたいなと思ったのが料理の世界への最初のきっかけでしたね。自分で将来何かをやるっていうのは、飲食店でもいいなってそのとき思ったんです。

ただ経営学科だったので、「将来はお店を経営したい」っていう考えになるわけです。そう考えたとき「自分で料理が作れないとダメだな」と思ったんです。料理人の方を雇っての経営となると、「こういうのをやって」って、毎回言わなきゃいけない。それだったら料理も自分でできた方がいいなと思って。

それで料理人志望で飲食業の会社に就職したんですね。その会社はチェーン展開で都内に何十店舗とかやっている会社で、ビストロ形態のお店をやっていたり、居酒屋もやってたり、和食もやってたりっていう。それが料理人生のスタートでしたね。

その会社で一年ちょっと働いてたんですけど、学生時代にアルバイトをしていたお店、そのときに仲が良かったお客さんから連絡がきたんです。「今何をしてるの?」って聞かれて、「会社で働いてます」って言って。そしたら、焼鳥屋の移転に合わせて「一人従業員を雇いたいから、おまえどうだ?」って言われたんです。それが僕の修行先となる焼鳥屋だったんです。

— それが湯島の「とりひろ」ということですね?

はい。その店で12年ぐらい修行して今に至ってます。

— 焼鳥をやるのはその店が初めてだったんですか?

いちおうチェーン店のときも焼鳥屋だったんです。ただ多業種展開している中の焼鳥チェーン店なので、そこまでの技術にはならないんですね。その代わり、例えば「今日、宴会で注文が百件入ってる」とか、基礎的な仕事の段取りをつける力とかはすごく勉強になりましたね。ほかにも「一時間に一回掃除しなさい」といった衛生面のルール。そういう決まりは勉強になりました。

なので、料理の技術とか焼鳥に関しての細かいはことは「とりひろ」に転職してからですね。

— 「とりひろ」でどんなことを学んで力をつけたんですか?

そこは個人店で、オヤジさんと僕しかしないっていうところなんです。カウンター中心の焼鳥屋さん。今の自分のお店に近い形態で、お客さんとの距離もすごく近いんです。

なので料理だけじゃなくて、対人というのが重要で、カウンター商売というのを学ばせてもらいましたね。お客さんと仲良くなればいいという話ではなくて、一本ちゃんと線が引かれてるというか。ちょっとピリッとした空気が必要だったりするんです。

それと、湯島らしい下町の旦那衆の文化があって、粋なお客さまが多い店だったんです。当時はまだ自分が二十代前半だったので、言葉遣いを正されたりとか(笑)。いろんなことを教わりましたね。

— そのお店で12年、長く修行されたんですね。

いえ、始めた時から最後までだと12年なんですけど、そのあいだの2年間は、実はぜんぜん違うことをやってて。

ふと海外でバックパッカーをやってみたいなと思って、

— 2年間、ひたすら海外をバックパッカーとして巡ったんですか?

仕事を離れた2年間のうち、実質1年半ぐらいですかね、海外に行っていたのは。

— 何歳の時ですか?

29歳の時です。その時のお店の仕事がイヤだとかはぜんぜんなかったんです。ただふと「バックパッカーをやってみたい」と思っちゃったんですね。

それでお店を辞めて、まず1ヶ月試しに東南アジアに行ってみたんです。そしたら楽しくて、もっとやりたいってなって。でもお金もないからどうしようって思うなか、せっかくなら海外で働いてみるかと。それでネットで調べたら、カナダの飲食店がスタッフを募集してて。ほかにもインドネシアとかいくつかあったんですが、カナダが良さそうだなと思ってアプローチしたら「いいよ」っていうことになって。

それで1年間カナダで働いて、そこでお金を貯めて。そこから5ヶ月ぐらい、点々と自分の行ってみたい国を10カ国ぐらい回って帰国したんです。

— カナダは一年間定住して?

そうです。

— そのあといろんな国を5ヶ月かけて回ったというのは、現地で働きながらですか?

いえ、もうまったく。

— カナダで貯めたお金で回ったんですか?

そうです。

— どこへ行きましたか?

カナダを出てアメリカへバスで行って、そこからガテマラ、ペルー、コロンビア。そこからモロッコ、スペイン。一瞬イギリス、ロンドン。そこからポーランド、トルコ、ネパール、インド、そして日本。地球を東回りでぐるっと一周して帰ってきた感じですね。

— ちなみにバックパッカーの旅から帰ってくると、日本の社会を客観的な視点で眺めることになりませんか? そのことのいい面もあれば、難しい面が生じることもありますけど、何か帰国後にそうした変化はありましたか?

意外にいい面があって。

バックパッカーをやってるときに、こんな感情になるんだっていう体験が2回あったんです。一つはガテマラで。毎日夕方に僕、水を買いにスーパーへ行ってたんです。そしたら店員さんが、ファイルを手に何か品を見ながら書いているんですよ。在庫チェックのようなことをしてるだけだと思うんですけど、その姿を僕はすごいいいなと思ったんです。ああ、働いてる、と思って。これが日常だと思って。そのことがすごく良くて、何か憧れのような感情を持ったんです。でも、その時はまだ旅の序盤ですよ。

— 面白いですね。

で、2回目は旅の中盤。今度はポーランドで。また同じような感じだったんです。夕方になんとなくスーパーへ行ったら、また同じように働いてる人を見て、いいなと思ったんです。日常的に働くって、いいなと。僕、そういうのがけっこう好きなんだと気づいたんです。

それまでは働きたいとか働きたくないとか、そういうことに対して特に何か思ったことがなかったんです。でもそのとき、働きたいなと思ったんです。

バックパッカーは楽しかったし、それを日常にしてもいいんですけど、働く日常もいいなと思うようになったんです。なので、バックパッカーで旅した経験は帰国してからポジティブに働くことに繋がって、新たなスタートにもなりましたね。

— 帰国したのが何年のことですか?

2018年の年末ぐらい。

30歳も過ぎ、独立したいっていう気持ちもあり、独立するなら焼鳥屋でいきたいっていうのも自分の中ではもう決定していました。あとは独立に向けて働いてお金を貯めないといけない。どうせ働くのならちゃんとしたところで働きたい。修行もできたほうがいい。そう考えると、前のところに戻るのが一番スムーズでいいなと思ったんです。

それで「また働いてもいいですか?」って連絡したんです。それで同じ店に戻って、そのあと4年間くらい働いて独立という流れですね。

やっぱり旅に行く前より、帰ってきてからはぜんぜん仕事が違うふうに見えましたね。単に30代になったから違ってきたのか。そこは自分でもよくわからないんですけど、帰国後の方が修行もすごく身になりましたね。

— そして自身のお店のオープンへと向かうわけですが、物件探しは大変でしたか? どうやって探しましたか?

一年ぐらい前から探し始めて、いろんな町を歩いてみたり、ネットで毎日物件情報を検索したりして。でもやっぱりなかなか希望の条件に合うものがなくて。

せっかく一発目の開業なので立地のいい場所で。一人でやるって決めてたので8坪以下とか広くない場所で。

でもなかなかなくて、一年探して申し込みをした物件はたったの4つでしたね。それもちょっと妥協してっていうところで3件申し込んで。でもその3つは流れて、4件目のここはけっこうよくて、決まりましたね。

毎日ずっとネットとかも見てて。募集が出てすぐ申し込んだので、タイミングが良かったと思います。

— 内装を山翠舎に頼んだのはどんな経緯がありましたか?

雑誌で山翠舎さんを見つけたんです。

いろんな飲食の個人店を特集した雑誌があって、そこで「この内装いいな」「このの雰囲気いいな」と思って調べると、山翠舎さんが手掛けてる。そういうのがけっこうあったんです。

なので僕が自分のお店を作る時は山翠舎さんに頼もうって、早い段階で決めてましたね。

— 実際に出来上がって、どんな印象ですか?

すごくいいです。こんなに良くなるとは思わなかったぐらいいいです。

— 特に気に入ってるポイントはありますか?

ぜんぶ気に入ってるんですけど、全体的な色合いのバランスがすごくいい。お客さま目線で言うと、正面にくる(キッチンの)タイルがすごく評判いいですね。

梁もいいし、カウンターもいい。やっぱり古木のあたたかみっていうのはいいですね。

— オープンして1ヶ月弱ですけど、これからの夢はありますか?

まだ遠い先のことはそんなに考えられないですね。今来てくれる人に楽しんでもらいたいなっていうことしか考えられないかなあ。

ただ長くここで続けたいなっていうのはありますね。10年、20年。せっかくここ大森っていう場所で開業したので。

— そもそもなぜ大森で開業されたんですか?

これはもう、たまたまです。

— けっこういろんなエリアを探されたんですか?

都内全域。(出身地の千葉県の)松戸ももちろん。

— あっ、そんなに広く。

人通りのある立地で条件が合えばどこにでもという観点だったので。

— じゃあ大森に決まったから、住む場所もここに移して?

そうです。引っ越してきて。

— そうなると、もう縁ですよね。

そうなんです。なので、僕も地元の人になりたいので、ずっとここでやっていきたいっていう思いがありますね。

結局、コツコツやってることが何においても近道なんだろうなと自分では思ってるんです。

続けることの大事さって、大人になるとだんだんわかってきません? 

— いやまあ、そうですね。

若いときって、こうしたいっていうのがあって、早くそこに行きたくて近道を探したりとか。

— でも結局地味なことの積み重ね、その分厚さになってくるということですよね。

ほんとにそうで。

今35歳なので、働き出して13年ぐらい。それなりに積み重ねたと思ってますけど、でも、これからの方が長いわけじゃないですか。これからもちゃんと一個ずつ。今、積み重ねてるんだなっていうのを感じながら、一人一人のお客さんに向き合っていくっていうことかなって思います。

だから、「将来的にどうなりたいですか?」っていうことには、あんまり言えないんです。

毎日コツコツですね。

— 今日はありがとうございました。