横浜市青葉区あざみ野にある「IL BOCCIOLO イル ボッチョーロ」。
 
料理人の関口芳康さんが2017年の10月16日にオープンさせた、イタリアンの人気店です。
イタリア修行で培った関口さんの美味しい料理と、ソムリエ資格を持つ奥さんによるイタリアワインのサーブが楽しめます。
2021年の1月6日には、2号店となる「PICCOLA」を同じあざみ野でオープンさせました。
 
その「PICCOLA」のオープン初日に、1号店となる「IL BOCCIOLO」も訪ね、関口さんにお話を伺ってきました。
生涯現役を掲げる関口さん。料理に賭けるその思いを取材してきました。
 
(2021年1月6日 取材)

— あざみ野(横浜市青葉区あざみ野)っていう場所を選んだ理由は何かあるんですか?

生まれがこの辺で土地勘があったので。
あざみ野っていうよりもうちょっと広め、青葉区で探してたんです。
他社さんと競合して申し込んだりした物件もあったんですけど、なかなかとれないなか、あざみ野でとれて。
結果的には(あざみ野で)良かったなあと思ってるんですけど。

 
— 生まれが青葉区?
 

いえ、生まれは隣の(川崎市)宮前区。電車でまあ10分くらい。
あざみ野にも友だちがいたのでこのあたりもよく来てたんです。
 

— 「IL BOCCIOLO」を立ち上げるまでには、どんな流れがあったんでしょうか?
 いつ飲食の世界に入られて、どういう修行をされてきたのか。

 
最初に自分の店を持ちたいと思ったのは15歳のころ。高校生の時に漠然とそう思うようになって。
 

— それはなんで?
 

なんでですかね。
何かあったときに「じゃあ関口のところへ行こうよ」っていう、場所を提供する側になりたかったんです。
 

— 「友だち」というのが先にあったんですね。
 

はい。でもまあ、夢物語ですよね。
 
店をやるには料理ができた方がいいなっていうことで、料理を始めたんです。
 
最初は焼鳥屋をやりたいなって思って、そういう和食の道に20歳のときに進んで、銀座で働かせていただいて。
あるときイタリアンレストランへ行って。
 

— お客として?
 

はい。料理の美味しさに感動して。
 
その時にコックってかっこいいなと思って、今度はイタリアンに転身して。
 

— それは何歳の時ですか?
 

22、23歳の時ですかね。それで、27歳の時にイタリアへ行って。
 
ずっと自分のお店をやりたいなって思ってたので、30歳で日本に帰ってきて。
 

— 3年間向こうで修行されてたんですね。
 

3年半ぐらいですね。
 

— イタリアでは何店舗ぐらい回られたんですか?
 

けっこう回りましたね。7〜8店舗ぐらい。
 

— 北から南まで?
 

真ん中から上ぐらいですかね。南の方はあんまり行ってないんですけど。
 
「30歳には日本に帰ってくる」って漠然と決めてたので30歳で帰国して。
 
自分で店をやるにあたって、あと足りないのは数字、経営管理面の数字だと思っていたので、
計数管理をやらせてくれるお店に入らせてもらって、そこで数字を勉強させていただいて。

そして、物件を探し始めた。
 

— 料理だけで独立されちゃう方もけっこういるじゃないですか?
 

ええ。
 

— そこをちゃんと勉強したんですね。
 

そうですね、(独立するまでには)失敗する不安要素っていうのは全部消したつもりではありますけど。
 

 

— そうして「IL BOCCIOLO」を?
 

はい、「つぼみ」っていう意味です。
 

— なんで「つぼみ」っていう言葉をつけたんですか?
 

花を咲かせようっていう。

まだまだ未熟だから、これから花を咲かせようっていう意味合いでつけたんです。
 
こういうお店の名前がたまたま日本になくて、それでまた気に入ってるんです。
 

— このお店の特徴はどういったところですか?
 

イタリアで学んできたことを日本で活かす。
 
一言でいうとそういうことになるんですけど。
イタリアで学んできたことを日本でそのままやるのはハードルが高くて。
 
食材が違う、気候が違う、っていうのがあって。
 
なので、日本の食材も使いながら、向こうで学んだテクニックとか食材の合わせ方で料理を表現してます。
 
湯葉も使ったりしますし、鮎の魚醤とかそういった日本の食材とかも使ってたりします。
 

— へえ。湯葉ってどう使うんですか?
 

湯葉とオリーブオイルを合わせて、
「オリーブオイルってこんなに美味しいんだよ」っていうことを伝えるために考えた料理とかがあるんです。
 

— ああ、いいですね。前菜ですね?
 

そうですね。
 
 
 

— 山翠舎に内装を頼もうと思った理由はどこにあったんですか?
 

木の内装がいいなと思っていて。

それで、自分がいいなと思った内装のお店をリストアップしてったら、
長野の「LA CHIAVE」とか、ほとんどのお店が山翠舎が施工したお店だったんです。

 
物件もまだ見つかってない、これからっていうときに、一回、山翠舎さんに相談しに行ったのを覚えてます。
 
それで、何回か物件を内見してもらって、いろいろ物件の取り方とかも教えてもらいながら。
そういうアドバイスもいただいて、今に至ってますね。
 

— 内装でこだわったポイントはどんなところですか?
 

古木ですね。
木のある空間、温かみのある空間。
 
 
たしか最初に初めて相談に行ったときから、
「テーブルのところにはモザイクタイルを入れたい」とか、「壁紙はこういうのがいい」っていうのは言ってて。
 
あとはほとんどデザイナーさんに任せっきりだったので、そんなに迷わずに決まっていったように記憶しています。

 


— 独立して自分のお店を3年半ほどやられてきて、感じたことや見えてきたことってありますか?
 

もっともっと料理を上手くなりたいなっていうことが、今一番思ってることかもしれないですね。
 
来てくれてる人を喜ばせ続けたいっていうところが。まだまだ実力不足を感じてるところはあります。
 

— まだ今も修行中という感じですか?
 

勉強は必要なものだと思ってます。
 
 
 

— 最終的にはどんなところを目指してますか?
 

昔から思ってることなんですが、生涯現役、立ち続けたいっていうのはあります。
 
経営に回るとかじゃなくて、厨房に立ち続けるっていう。
 

— そこまで料理が好きということですね。
 

好きなんでしょうね。
料理にゴールがないっていうのもあるし。
 
もっともっと料理が上手くなりたいですし、若い子たちに指導できるようにもなりたいですし。
若手を育てていくっていうのは責務だと思うので。
 

— 今日はありがとうございました。